人間以上

 読んでる最中、アシモフだと思い込んでいた。実際はスタージョンの小説だった。明らかにアシモフじゃないなコレと違和感があったんだけど、そりゃそうだ。
 人間の「次」はなんだろう、というのは結構興味深い問いだ。この小説はその「次」が出てくる。
 ニーチェの超人思想なんかもあるけれど、この小説に出てくる「次」は、精神の向上とかではなくて、実際に形態が変わっている。といってもそれは肉体的な変化ではなく、複数の人間が集団として一つの生命体として機能するという、生命形態の変化なのだ。まあ、彼らは個々としても超能力とか使っちゃうから肉体も精神も変化してるっちゃしてるんだけど。
 ただ、そういう大きな変化がなくても、僕らはなんだかんだで「次」に向かって漸進してはいる。父と母の遺伝子を受け継いで、なんらかの変化――前進かどうかは知らないけど――をしているのだ。とりあえず、「次」ではある。世界には60億の異なる方向性の「次」があって、個々の「次」は「次」ゆえに孤独なのだ。
 じゃあ、その孤独はどうすればいいんだろうか?
 「次」を生み出した「元」を大事にすること。「元」の一部であることを認識すること。そして「次」を生み出し、そして「次の次」からの敬意を受けること。それが成り立つとき、孤独は解消される。この小説はそんなことをいいたいんだと感じた。
 で、この小説には6歳のツンロリと4歳の黒人幼女双子(趣味ははだかになること)が出てきます。全員が超能力持ち。ツンロリと超能力! この世にこれほど相性のいいものがあっただろうか! そしてツンロリは17歳に成長し、いい少女になります。ああ、いい子に育ってくれた、俺感激。みたいな。
 スタージョンあなどれないぜ。