願う 祝う 呪う

 で、レジュメライクなものを用意して「ありさ」も大真面目に文章に残しておいたら、先輩からちょっと面白い指摘をもらった。
 先輩によれば、Alyssaの元であろう「Alice」の語源はラテン語のadal(高貴)からきているとのこと。Albertとかも同じ。そんな角度からツッコミがくるとは思っていなかった。
 きゃつらの名前なんぞ全部聖書から来てるんだろバーカバーカ、と思っていたけれど、色々とルーツはあるみたいだ。
 意外だったのは、あっちの名前にも意味があるんだな、ということ。我々は姓名ともに意味というか願いを込められているわけだけど、Robertだのなんだのにも、そういった意志は秘められていたのだ。
 というか、名前も言葉だ。言葉として発明された以上、そこには必ず意味があって当たり前なのかもしれない。
 むしろ不思議なのはそれがかなり忘れられていることだ。なんでだろ? てきとーに古語なり現代英語なりひねくり回してカッコいい名前を子供につけてあげればいいのに。