Excelと世界の理解

 わかってみないとわからないことの、なんと多いことか。
 Excelというソフトがあって、僕はそのソフトがあまり好きではない。しかし、それでもExcelがなかなかやるということは認めざるを得ない。
 高校の頃、僕は初めてパソコンに触った。姉の大学入学によりもたらされた、富士通のノートパソコンだ。ごつくて重かった。まだWindows95の頃だ。文章を書き散らすのに夢中で、表なんかを作る必要がなかった。だから、中学高校のころは、Excelは物理・化学のレポートを提出するためのグラフ作成ツールでしかなかった。Excelは扱いにくく、ぶきっちょで、余所者でしかなかった。
 大学に入って、卒論を書いたりすることになっても、あまり変わることがなかった。なんだよ、たしかにExcelがなければ卒論は書けないさ。でもだからどうした?
 今の会社に入社して、「社内公的書類は全てExcelで書くべし」というルールに遭遇したときは腹が立った。馬鹿かと思った。今でも馬鹿だと思う。Excelで文章を書くのは、まるでプレステのパッドでファミコンをやるみたいだ。
 しかしプログラマとしての仕事を重ねるうちに、Excelへの嫌悪とは別に、認めねばならないことが多くあることに気づく。
 例えば僕はGUIのアプリケーションを作っているのだが、それは画面のグリッド(だいたい40カラム・30行くらい)にデータを表示したりすることになる。たまに、3000行くらい表示させる必要が生まれて、これをやると、うわ! 固まった! メディック! メディーック! そしてCtrl+Alt+Delという事態になる。
 Excelでやってみよう。君は時間を測るためにストップウォッチを持っている。相手は40カラム×65535行だ。さあ、ファイルを開いて、ストップウォッチのボタンを押す。ボタンを押し終わることには表示が終わっている。あれ?
 文字列をどのように管理して、画面にグリッドとして表示するのか。たぶん、根本部分からExcelはよく考えられ、よく作られ、よくチューンしてあるのだ。それは僕にはどうやっているのか全然わからない。まるで魔法のように思える。
 Windows95の頃、Excelは30分に一回はフリーズした。そんなソフトの良さに気づくまで、12年かかった。たぶん、世の中は良いもので溢れていて、それに僕は気づかずに生きているだけなのだろう。わかるまで、わからない。少しずつ、わかるものが増えるといいなと思う。