25歳という節目と時差と距離について

 友人が25歳になって、その祝いにメールを送った。
 フライングしてしまった。
 僕は人の誕生日を記憶しておくのが滅法苦手で、今回のケースはちょうど一週間前に誕生日を聞いたからという、たまたま覚えていたレアケースである。「なんか僕が覚えてるなんてスゲエから祝い送っとくか」というノリだ。
 彼の誕生日は僕の頼りない記憶どおりに4月8日だったのだが、実際に彼に届いたのは恐らくは4月6日である。フライングしてしまったというのはそれのことだ。2日もフライングしてしまった。
 なぜそんなことが起きてしまったかというと、僕は4月7日に会社に着いたときに、何故かその日を4月8日と思い込んでしまったからだ。「月曜日が4日だから、金曜の今日は8日だな。8日と言えば奴の誕生日だったな、そういや」と思ったのだが、しかし月曜日は3日であった。ここまではよくあるミスで、「まったく、自分だけは信用できねえな」で済むのだが、さらに計算が狂ったのは25歳になった彼がイリノイ州にいることで、シカゴと東京の時差は15時間あることを完全に忘れていた(おい、シカゴが僕の生まれ故郷だって言ったら、信じる?)。日出づる処の東京の方が日は早いため、こちらが7日のとき、シカゴは6日だったはずなのだ。
 メールの届いた6日の時点では、まだなんとか、なんとか24歳のへりにしがみついていると言うのに、「やあ、到々25歳になってしまったね。花の20代ももう終わるよ。萎れたね。枯れたね。散ったね。このまま僕らは30歳になってそして死ぬんだね」とか、そんな内容のメールを受け取ったことになる。これはやるせない。
 メールだとかネットだとかで世界はひとつとか誤解して、時差のことを忘れてしまっている。シカゴっていうのは、それはそれはすごく遠いのだ。そんな異国の果てで頑張ってる25歳の彼は超すごいです。
 しかし、ホントに30になってもまるで変わり映えのしない僕であるのだろうなあ。それは成長していないというのか、損なわれていないというのか。