4月1日という時間の裂け目に関して

 まあなんだっていいのだが、今の僕は社内にいる。土曜出社という奴だ。
 仕事をしにきたのだが、しかし仕事をする気力はゼロだ。だからこうやって遊んでいる。
 色々と書きたかったことはある。
 例えば、地中海の方で日食があって、ピンクフロイドeclipseを聴いた直後だったので相乗効果で両方楽しかったこととか、日食のネット中継は皆既日食のところだけが回線混雑で切れてしまってふざけんなとか、ストリーミングを見るためだけにQuickTimeをインストールしたらiTunesもついてきてうざったいとか、でもiTuneカッコいいよなとか、4月に先輩が一人辞めてしまうのだがこれからどうすんだとか、ペプシNEXはマズイとか、あの粘っこく口に残るキレのない甘さはダメだとか、フリーゲームの夜明けの口笛吹きについていい加減感想をまとめておきたいとか、あんまらに感謝しろよとか、FF12とか、なんとなく読み返した風の歌を聴けが妙に面白く感じたとか、日記としてチョイチョイと書き留めておきたいことは積もり重なってくるもので、それは部屋に積もるホコリのようなもので、いつかは掃除をする必要があるのだと思う。でも、何故だろう。今現在はあまり書く気になれない。全体的な気力が萎えているのだと思う。
 4月1日である。
 僕らの属している社会にとって、意味のある日付だ。学生の門出、新社会人の門出、新会計期間の始まり。あるいはエイプリルフール。桜が咲いて散る頃。一年が回っていることにまた気づかされる継ぎ目の日。時間が進んでいることに気づくのは恐怖につながると僕は思う。時の継ぎ目など作らなければいい。漫然と生きて漫然と死ねばいい。しかし、時間感覚にも寄る辺がなければ、人間は不安なのかもしれない。
 将来のことはあまり考えたくない。過去のことは考え飽きた。今のことは、よくわからない。
 行動を起こさなくてはならない。今、やらなくてはならないことがある。明日、やらなくてはならないことがある。来週の間に、やらなくてはならないことがある。今月の終わりまでに、やらなくてはならないことがある。
 だが、今の僕は席に座って呆けているだけである。
 これが僕の社会人一年目の終わりだ。