テン・イヤーズ・アフター

 世の中には二種類の人間しかいない。
 ある程度以上にポジティブな人間と、ある程度以上にネガティブな人間である。一本の線で分ければそういうことにならざるをえない。僕はどうもネガティブな人間であるらしい。自覚はさほどない。
 筋肉少女帯に「サンフランシスコ」というアルバムがあって、僕はツタヤでジャケット裏で曲名だけ確認していた。1〜2曲目が「サンフランシスコ」で、トリ一つ前が「サンフランシスコ・テン・イヤーズ・アフター」だ。曲名だけ確認して、僕は別のアルバムを借りた。ただ、何が元ネタかは知らないけれど響きがいいな、と心に残ったのだ。
 さて、「テン・イヤーズ・アフター」と聞いてどんな曲を想像するだろうか? 僕が最初に連想したのは映画のゴッド・ファーザーだった。ゴッド・ファーザー3は言い換えてしまえば「ゴッド・ファーザー・20Years after」である。マイコーは過去に縛られて後戻りのできないまま死ぬ。
 就職活動をしていて良く耳にした言葉は「10年後の自分を想像してみよう」だった。10年後の自分がキャリア的にバリバリ働いている、いわゆる「できる男」になっている姿を考えて、それに向かってマイルストーンを設置していこうよ、というアホみたいな話だった。10年後なんていう不確かなものに対して、「できる男」なんて外見だけを目標にして挑むのだ。チョモランマに懐中電灯ひとつで分け入るようなものである。遭難のうえ凍死は確実というものだ。
 10年後の自分というものがどうなっているかなんて、わかりゃあしない。ただひとつ思うのは、それは現在の自分の延長にしか存在しないということだ。だから楽しげな空想をする前に、自分の20数年を見返してみて、10年後の自分が30年を見返している姿を想像してみろよ、と言いたい。きっと自分らしく愚かで恥ずかしい10年が追加されているだろう。そんな自分を否定して空虚な理想を持つのは、あまり宜しくないと僕は思う。自分が正しいと思うことをして、そして失敗を重ねていく以外に生きる方法ってないんじゃないだろうか?
 だから僕のテン・イヤーズ・アフターは、きっとたいして出世もしていないし、給料も上がっていないし、でも特に不平も言わずに夜遅くまで働いて効率の悪い仕事をしている可能性が高い。(だから少しでも楽ができるように、貯蓄と勉強をすべきだなと思う)

 一昨日、カレーを食いながら同僚に「10年後の自分はどーなってると思う?」と聞かれて、上の結論だけを言ってみた。
「ネガティブすぎるよ。10年後の俺はバリでトロピカルジュースを飲んでるよ」
 なるほど、現実逃避をしにバリに出かけて、しかしジュースを飲みながらも逃避しきれずに滅入っている自分が想像できる。きっと天気は土砂降りだ。雨を見ながら、10年を思い返すのだ。それはまぁ、良くもなければ悪くない考えである。