ケニヤです。


亀さん生きてるかー?
会長の演奏会どうでした?



今日は暑さに負けてついにクーラーを入れてしまった。
梅雨もあけてないくせにクーラーです。
負け犬気分に浸っています。


今日の日経の春秋で
明かりを落とした東京の夜を見て、失われたものについて思いを馳せ云々、
とかそんな内容のことが書いてありました。


こういう論調って至るところで見かけるし
たしかにその通りだなって思うところもあるんだけど、
しかしお前はドーダコーダ言いながらクーラー付けるんだろ?
とか勘ぐってしまう。


どうせ大教室で24℃設定とかにしてるんだろ?
俺の腹を冷やしてくれてるんだろ?
風邪引いたぞ、どう責任とってくれるんだ?
とか。


上の三行はともかく、
我々は旧世代の情緒を破壊しながら多くのものを手に入れているわけです。
そう、破壊しているのは昔の感傷なのです。
平成生まれの少年にオンブバッタの話題が通じないように、
新しい世代はもともとそれらに価値を見出さない。
そして若い彼らが大事にするものも、やはり時代の流れに取り残されていく。


だからさ、昔を大切にしよう!って言う人は
あんまりそれを大義名分にしない方がいいと思うんだよね。


その人自身も古い昔を壊して今の世界を作ってきた。
これからの人も今を壊して未来を作るのである。
やはり、妥協と我慢、もしくは忍耐と諦観というものが必要であろう。



うん、春秋の中の人が読んだら
「俺が言いてぇのはそういうことじゃねぇ!」
と怒りそうな文章だった。
でもネタないしこれでいいや。