明大付属博物館・アイアンメイデン見学

 明大の付属博物館に行って拷問処刑器具の展示を見てきた。目玉はこれ、アイアンメイデン
 そこは日本古来の石抱責めや獄門さらし首から、ギロチンそしてアイアンメイデンまで完備されている、ちょっとした恐怖エリアである。明大生は足元にこれらを抱えて大学4年間を過ごすわけだ。まあ大きく歪んだ大学生活になるだろうなと同情を差し上げたい。
 僕はこういった拷問器具というやつが非常に苦手だ。
 なんで苦手かっていうと、拷問をする方の心理というものに、あまり意外性を感じないからだ。人を縛って火あぶりにするとか、インダストリアルな機械を使って効率的に処刑を実行するとか――ギロチンの晒し首回収ポケットを見るたびに「こりゃお手軽でいいね!」と評価者にウケたんだろうなあと思う――、拷問器具・手法というものは相手のことを全く考えないのだ。こちらは苦痛を与える側、あっちは苦痛を受ける側、という明確な線引きがあるからこそ、こういうものは成立する。「あなたに使用されるかもしれない拷問器具をデザインしてください」って言われて、アイアンメイデンを思いつくやつがいるだろうか?
 僕はわりと人の気持ちなんて考えずに行動するフシがあるから、こういう「まさか自分に使われるとは思わなかった」という気持ちがよくわかる。そういうのは想像の外なのだ。
 そしてさらに気分が悪くなるのは、拷問器具から受ける倒錯した快楽というのも理解できることだ。アイアンメイデンの蓋を閉めていくときの、中に固定された人の表情、助けにならない全身のもがき、失禁しているかもしれないし、絶叫しているかもしれないし、既に猿轡がされて声になっていないかもしれない。それにゆっくりと長釘がめりこんでいく状況は、ゲロが出るほど残虐であることは承知の上で、しかしやっぱりどこか興奮するシチュエーションでもあることは確かだ。
 カイジの鉄骨渡りで「不安定な鉄骨の上を命がけで渡る連中を、安全な場所からゆったり眺めるとき、しみじみと安心する」といった旨の発言があるが、まあそれに近い。いい表現だと思う。
 誰も口に出したがらないし、口に出すようなことでもないと思うんだけど、みんながみんな、こういう悪趣味な面を持っているのだ。もちろん自分のなかにもある。
 こういった衝動は生まれ持ったものなのか? それとも後天的に学習して身についたものなのか? 僕にはよくわからない。気がついたらそこにあるのだ。そして状況がくれば花開くのだ。自分がやられるかもしれないし、自分がやるかもしれない。やる立場に立てば、たぶん自分は楽しむであろう。
 拷問器具と向き合うことが恐怖なのは、自分の中の悪夢と向き合うことだからだ。
 拷問は現在でもどこかで行われている。過去のことだとか、狂気の産物だとかいって逃げられるものではない。