猫のゆりかご


 『ボコノンの第十四の書』
 Q.思慮ぶかい人間が、過去百万年の経験をつんだ、地球上の人類に希望できることは何か?
 A.ゼロ。

 カート・ヴォネガットは神!
 原爆投下の瞬間について、研究者たちが何をしていたのか、何を思っていたのかを本にまとめようとする主人公は、あれよあれよという間に変人に囲まれ、ある島にたどり着き、王となり、否応無く世界は終わる。ふざけた展開である。ふざけるのもいい加減にしろといいたい。しかし、その展開は全て寓話と警句で構成されている。この小説は、このふざけきった展開を通して何かを叫んでいるのだ。
 わたしがこれから語ろうとするさまざまな真実の事柄は、みんなまっ赤な嘘である
 スローターハウス5を読んだときは「ああ、村上春樹の元ネタなのか」という感想を持ったけれど、こうして二冊目を手にとってみれば、ヴォネガット自身の精神性が見えてくる。そこにあるのは徹底した期待の無さだ。どうすることもできない無力感であり、諦念であり、究極的な悲観から生まれる裏表のない行動だ。
 「やれやれ」の源泉をやっと発見した。(結局、僕は村上春樹という視点から離れられないのだ。やれやれ。)
 トップをねらえ!に出てくる縮退炉の燃料であるところの「アイス・セカンド - Wikipedia」はこの小説が元ネタであるが、しかし全く関連性はない。
 でもさあ、ヴォネガットの「そういうものだ」を人生に適用してしまうのは、ちょっと廃人になるよね。僕はまだ少しは青臭い希望を持ちたい。弱いなあ、弱い弱い。