風の歌を聴け

 「風の歌を聴け」は、村上春樹のデビュー作である。薄いし、さらっとした内容ですぐ読み終わってしまうのだけど、メタファー満載の構成と乾いた語り口がまさに村上春樹という、村上春樹汁特濃の一冊である。僕は・君たちが・好きだ。
 少し前だけど、また読んだ。鼠への感情移入が強くなっている自分に気づいた。
 今まであまり印象に残ってなかったシーンなのだけど、鼠が「僕」に強く頼むシーンがあって、それが今回は妙に強く印象に残った。
 「僕」の「どこにも強い人なんていない。強い振りをしている人間がいるだけだ」という一般論に対して、「本当にそう信じてる?」と問いかける。肯定する「僕」に、鼠は「嘘だといってくれないか?」と真剣に言う。

「そうだね。しかし一晩考えて止めた。世の中にはどうしようもないこともあるんだってね」
「例えば?」
「例えば虫歯さ。ある日突然痛み出す。誰が慰めてくれたって痛みが止まるわけじゃない。そうするとね、自分自身に対してひどく腹が立ち始める。そしてその次に自分に対して腹を立ててない奴らに対して無性に腹が立ち始めるんだ。わかるかい?」
「少しはね」と僕は言った。「でもね、よく考えてみろよ。条件はみんな同じなんだ。故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いものもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね、人並みはずれた強さを持った奴なんて誰もいないんだ。みんな同じさ。何かを持ってる奴はいつか失くすんじゃないかとビクついているし、何も持ってない奴は永遠に何ももてないんじゃないかと心配している。みんな同じさ。だから早くそれに気づいた人間がほんの少しでも強くなろうって努力するべきなんだ。振りをするだけでもいい。そうだろ? 強い人間なんてどこにも居やしない。強い振りのできる人間が居るだけさ」
「ひとつ質問していいか?」
僕は肯いた。
「あんたは本当にそう信じてる?」
「ああ」
鼠はしばらく黙り込んで、ビール・グラスをじっと眺めていた。
「嘘だと言ってくれないか?」
鼠は真剣にそう言った。

 この鼠の気持ちは、痛いほどわかる。だが、なぜ鼠や僕自身が「嘘だと言ってくれないか?」と頼むかというと、それはどうもうまく言葉に出来ない。感情移入って言うのはそういうものかもしれない。でも、中学受験の頃を思い出して、感情読解の言語化にトライしてみようと思う。そういうのも面白い。
 鼠は、信じたくないのだ。何をだろうか。それは「強い人間がいない」=「強い人間になることができない」ことじゃないだろうか。あるいは、鼠以外の全員が自分の弱さに悩んでいること、そして強くなろうと努力していること。
 虫歯の例えに乗っからせてもらえば、自分の虫歯が痛んで痛んで仕方が無いとする。虫歯が痛むとき、なんで俺だけがこんな目にあってるんだと腹を立てるし、他の奴らもこうなればいいのにと思う。だけど、実際にはみんな虫歯を痛めていて、だけど痛めていない振りをしているだけなのだ。そしてその虫歯は死んでも治りっこないのだ。
 なんというか……、「僕」の一般論はヒーロー性がない。夢がない。俺は少しでもマシになってやるんだと思っていると、みんなそうだと気づかされるし、俺は本当に駄目な奴だと思っていると、そうさ皆は頑張っているんだものと思わされる。
 結局うまい言葉にならなかったけれど、弱い人間に一般論は危険なのではないかという結びに向かいそうだ。うむ、鬱病患者に励ましは禁句というのと合致しそうだ。