誕生日について思うこと

 先々週に誕生日を迎えました。11月のイリノイで生まれて、24年になります。あと365日もしないうちに、四捨五入で三十路ワールドに突入なのです。
 身体能力は二十歳を迎える前にピークを迎えるっていうし、いくら個人差があるとはいえども、ただでさえバイタリティ低い僕の身体はさらにお肌の曲がり角、あとは落ちて落ちて地に横たわるだけのようなのです。一般に青春を過ごすであろう学生時代もなんか気がつくと何もせぬままに終わった気がするし、入社したのは業績が悪くないとはいえベンチャー企業でしかも業務は激務確定のプログラマで、もちろん予想通りに毎日終電間際の生活真っ最中の現在で、こんな僕では先が思いやられて誕生日なんて区切り目においてはため息しかつけないというものなのです。
 でもしかしですよ、良く考えたら子供の頃から自分の誕生日を祝っていないのだ。子供が自分の誕生日が来るのが楽しみなのは、ケーキが食べれたり、プレゼントにファミコンのROMカセットがもらえるからなのだ。別に自分の齢が重なったことを喜んでいるわけではないのです。
 誕生日とは、他人を祝うものなのだ。対象は他人、源泉は他人への愛情なのだ。
 ああ、僕も誰かを祝いたい。純粋にその人が一年間生存できたことを喜ぶことができるような誕生日に出会いたい。そんな風に夢見ながら、自分や友達の誕生日にかこつけて麻雀などをする今年であった。だから、金賭けようってばさ!