サイボーグの恐怖

 昨日、NHKスペシャルでサイボーグについてのドキュメンタリーを放送していた。
 サイボーグ?
 サイボーグなんて漫画やアニメのなかの話だと思っていたが、意外なことに既に実用化されているようなのだ。失明している人に光を与え、義手は触覚を脳に伝える。脳へのインプット・アウトプットに用いる電気信号が解析れているらしいのだ。これには驚いた。
 脳を調整する技術も進んできている。脳に電極を差込み、ある特定部分を沈静化させることでパーキンソン病鬱病を治すことができる。電源等は人間の胴体に配置して、そこから伸びる管が脳に滑り込んでいるのである。僕は恐ろしくってガタガタ震えていたが、アメリカではこの手の手術はすでに二万件が行われ、日本でも手術例があるとのこと。ビビる。ピタリと病状が回復するのにビビる。スイッチのON/OFFの変貌にビビる。
 ロボラットなんてのもあった。右ヒゲに触覚を感じさせ、右に身体を反転させる。指示に従ったら、快楽を与えられる。学習したラットは指示通りに右に左に曲がるようになる。もちろん、脳に刺した電極から触覚が生まれ、快楽が送られるのだ。コントローラーで右に左に動くラットの完成である。こいつの背中にカメラでもマイクでも爆弾でもつければ、今すぐ実用化である。技術が進歩すれば、いつかは人間にだって同じことができる。
 記憶だってチップ化されつつあるらしい。近い将来、記憶の外部保存や交換が可能になるかもしれない。もう攻殻機動隊そのまんまである。「それが本当に自分の記憶だという保証があるんですか?」みたいな。セリフ覚えてないけど。ネットは広大だわ、みたいな。
 治療の面でサイボーグ技術が非常に有用であることは重々承知のうえで、やはり僕は恐怖を覚えてしまう。軍事転用された際の悪夢だけでなく、この技術は「人間とは何か」というあまり考えたくない疑問を浮き彫りにしてしまうからだ。人間の世界は脳の箱庭に限定されている、その他の器官は単なるパーツに過ぎない、人間とはつまり脳なのだ……そんなパソコンとは何かみたいな、参考書の1ページで終わってしまうような説明で終わってしまうのは、それはちょっとどうなんだろうか。
 人類の進歩という視点から見て、天動説みたいに無駄な感傷かもしれない。
 それでも僕は怖い。