ライトノベルとサウンドノベル

 ライトノベルを買って、待ち合わせに一分遅刻する。
 秋山瑞人の新作が出ているというので、通学電車に乗る前に買ってみた。「ミナミノミナミノ」という。「南の南」とまずは読むのだろうけど、わざわざカタカナにしているなら別の意味があるはずだ。「皆ミノミナミ」、「皆、身のみ、ナミ」、「皆、身のみ、波」。つまり皆が身体ひとつだけで荒波に立ち向かうというド根性物語だったんだよ!
 案外外れてなくて逆にびっくりだ。
 世間から隔離されたひなびすぎてる田舎に少年一人が放り込まれて、まぁなんかうまく溶け込めたりもしつつ色々楽しくなってきたんだけど、細かい違和感がつきまとうぜおかしいぜあれあれあれ? こう読んでいて思わされてしまうのは、この展開はまるで「ひぐらしのなく頃に」じゃないか。目指すところは違えど、手法がそっくり。特に、左吏部真琴が*をぐりぐり踏み潰すあたりの恐怖の煽り方。
 しかし、それでは「ミナミノミナミノ」を読んでいて思わず後ろを振り向いてしまったり思わず呻き声をあげてしまったりするかといえば、実は全然そんなことはない。文章技術は秋山瑞人の方がずっと上なのに、「ミナミノミナミノ」はスラスラとページをめくれてしまう。これは一体どうしたことだろうか。
 思うに、きっと媒体の性質なのだろう。
 「ひぐらし」のようなサウンドノベルは、黙読というより音読に近い。文章の流れるスピード挿入される溜めによってコントロールされているし、雰囲気を表現する音楽はつまり語り口の代用品であり、効果音といえば怪談には擬音語がつきものと昔から決まっている。読者・聞き手を焦らし、想像させ、揺さぶり、叩き落す。単純なホラーにかけては、黙読は音読に勝てっこない。「ミナミ」が全然怖くないのは、すこし怖くても先を読み進められてしまうからなのではないだろうか。
 全然怖くないのは、読み進めた先でホラーからかけ離れた展開が待っているせいでもあるのだろうけど。個人的にはもう少しのあいだ「ひぐらし」路線で行って欲しかったけど、秋山瑞人にそれを求めても仕方ないか。
 主人公は転校を8回経験した14歳。14歳の僕は3回の転校を経験していたけど、僕も主人公も人の顔を忘れるのを転校のせいにしているのに笑ってしまった。本人の気質が一番大きいけど、小さい頃の連続転校経験はクラスメイトへの無関心を招きがちかもしれない。
 作者もあとがきで言及している通り、「イリヤの空 UFOの夏」そのまんまのキャラクター配置でお届けです。「イリヤ」は引き伸ばされて薄かった印象なので、「ミナミ」はいっそ2巻で完結する勢いで力の限り煮詰めてほしいところ。次巻は巻いてください。島全滅!完!でもいいから。