音楽と単純作業

 ドムがキーワードになってないのは意外な驚き。
 レポート用紙に書きとめたデータをPCに打ち込んでいます。休み休み、3日目です。純作業時間で25時間ほどになりますが、自給800円と換算すると2万円です。僕は2万円程度の安い仕事をしているのか……と天井を見上げると作業がはかどらないので、あまりそのことは考えずに進めます。まだまだ単純作業が山積みだからです。いやしかし、2万円もらえるなら嬉しいな、とか気をそらして2chなぞを覗いている余裕はあまりないのです(実際にはまるでない)。
 データ打ち込みだってそうだけど、勉強だって単純作業で、やっているとふと鉛筆の手を止めて「そういえば僕はなんでこんなことやってんだっけ?」とか思ってしまったり、この世は仮想現実なのではないだろうかと現実逃避してみたり、きっと仮想現実外の僕もこんな感じなんだろうなと意味もなく落ち込んでみたり、職を失ったときに備えて生涯にいくら稼げば一応生きていけるのか試算してみたり、ろくなことになりません。だから僕はそういった雑念を振り払うために音楽をかけるのです。
 というよりも、僕と音楽との接点はそこにしかないのです。音楽=作業時にかけるもの。そういう公式が心の底に何か言いたげに鎮座しているのです。
 だからCDなんて基本的には図書館で借りた「なんか聞き覚えがあるけど何だか全然知らないバンド」の「よくわからない歌」で済むわけで、聞着終わって図書館に返却して3歩歩いたら全て忘れてしまいます。酉年だけに。ぶっちゃけ僕はビートルズのメンバーの名前をほとんど知りいませんし、名を聞けば、「へー、その人ビートルズだったんだー」てなもんです。歌ったり演奏したりする人たちの顔も姿も性格も興味がないので、音楽番組も見ません。トークとかまるで興味ないわけで、流行歌はコンビ二で立ち読みしてるときに覚えます。だから曲名も、誰が歌っているのかも、どれくらい売れているのかもわかりません。
 当然モーニング娘。なんかの名前と顔も全然まるっきりわからないわけで、あれのファンなのだと自称する人に会う度に、その人と僕の育ち方の差異について思いを巡らさざるを得ないのです。
 でもよく考えてみたら僕はクラスメイトの名前と顔すら覚えずに6年過ごしちゃったりするような超無気力無関心男なわけで、それでバンドの顔を名前を覚えてたらクラスメイトへの冒涜なので、多少同期の会話に入り込めなかったり世間との壁を感じても、仕方ないものとして甘受したほうがよさそうだ。
 こんなことをノーパソから繋いだCDラジカセのスピーカーから流れるレディオヘッドを聞きながら思う昼下がりなのでした。
 音楽を聞き流しながら作業しても考え事は結局してしまうという話。なんかこの音楽の話、昔も使ったような気がする。ビバ・リサイクル!地球に優しいひとと呼んでください。


 レディオヘッドを図書館で借りてきて、そのノイズにCDのキズを疑った人は多いに違いない。