観測者の実在

 「観測者」ってわりとありふれた言葉になってしまいましたね。
 NHKスペシャルだったか、チベット高原の湖、その周辺の人の営みについてのルポ番組を見た。録画されてたやつだ。氷の上に作られた灰の道を辿っていく羊の群れなどは見ていて興味深かったのだが(羊というのはいつだって興味深い)、いちばん面白かったのはカメラマンの息切れだ。
 平然と生活する人たちをカメラが揺れながら追い、「ハァハァハァハァハァ」という息切れを常にマイクが拾っている。そうなのだ、ここはチベット5000m。富士山の頂上よりも高いのだ。カメラマンの息が乱れるのも当然のことといえるだろう。
 普段僕らは映像を見るとき、「映像=自分の視界」と思っている。画面には知りたいこと・見たいことが映っているわけで、思い通りに事を視界に収めてるつもりなのだ。
 実際はまるで違って、「映像=カメラマンのファインダー」なのだな。見ているのではなく、見せられているだけなのだ。カメラマンの息切れはそんなことを強く意識させた。
 今日もまた、今更なことに気がつく。