美しい きれい うるわしい

 「美しい」というのは、「余計なものがない」ということそのものなんじゃないかと、最近ふと思った。
 どぶねずみが美しいのは、きっと生き方がシンプルで無駄がないからだ、とか。陸上の美しいフォームというのは、力学的に無駄がない動きのことだったり。
 たぶん「きれい」と「きたない」はゴミやらなにやら、穢れがついていない・ついているの差で、ついていない方がよりシンプルだから、「きれい」→「美しい」につながっているのではないか。完全にイコールではないけれど、意味が繋がるのはたぶんそのせいだ。うるわしいとかはどうだろう? これはちょっと難しいな。
 うつくしい、の語源はどうなっているのだろう? 「余計なものがない」説で行けば、「うつろ」とか「うつせみ」とかとの「うつ」と通じていくのかもしれない。もはやワビサビの世界だ。
 僕は「うつくしい」をそういう観点で見ているから、ゴテゴテした美というものがどうにも馴染めない。たぶん、イスラム建築の細かさっぷりが好きになれないのもそのせいだ。