2005/02/12

 あわただしい日。

  • 午前三時〜午前十二時。

 サークルの大会運営を手伝いに行く途中で、秋葉原に立ち寄る。
 大会運営準備5日間(だったか?)に前日の土曜日から行くのは、前日準備から手伝うのがもっとも効率的だからだ。ぶっちゃけ前々日までは誰でもできる仕事で、前日からは経験がものを言う。五年生が必要なのは前日と当日だけなのだ。
 行く理由は、まぁ、恩返しだ。なかば義理でもある。
 11日の深夜、午前3時。そろそろ寝るか、と思ったとき、明日の準備で足りないものに気づく。デジタル腕時計がない。正確な時間を瞬時に必要とするスタート班でデジタルの腕時計を携えていないのは、ごはんを食べるのに箸がないに等しい、正しくクリティカルな問題なのだった。ハンバーグ屋でライスをフォークで食わされるけど、あれはどうかと思う。
 実際のところ、デジタル時計自体はある。2年の頃から使っていた、ラップを42個記録できて、100mの耐水加工がなされていて、健康的な汗を吸って劣化したベルトの千切れた、ちょっとした相棒気分の、勝利を約束するNIKEのデジタル腕時計がある。が、電池切れである。今はもう動かないその時計。もう走らない、もう地図を読まない、もうコンパスを振らない。だから、もうラップも刻まない。今はもう動かさないその時計。だから電池切れのまま、居間に放置されているその時計。今はもう居間に放置。だじゃれかよ。
 気合の入った耐水加工の時計というものは修理に時間がかかる。二度ほど経験したことだが、そのへんの時計屋や電化店では部品がないので、NIKEの工場に送り返されたりして、一ヶ月ほどの時間と数千円のお金がかかる。だから今からでは電池交換をしても間に合わない。
 100円ショップで買おうかとも考えた。だが、蕨の100円ショップの開店を待っていては間に合わない。途中の乗換駅、千葉あたりで買おうか。だが、100円ショップの場所を知らない。迂闊であった。思わぬ問題に気づいてしまった。
 いたるところに問題がある――これを「至るところに問題がある」とか言い直せばそれなりになんだか売れっ子ライトノベル作家っぽくもある。売れっ子ライトノベル作家になろうかな僕、とか。
 アホなことを言っていてもしかたがないので、自分で電池交換をすることを選択した。どうせ100m防水というのも宝の持ち腐れだ。汗が通らなければそれでいい。掃除は面倒になるけど、仕方ない。精密ドライバーで分解を開始する。
 だけど、裏ブタを外してみてビックリしたね。おにーさんは驚いたね。
 時計、カッコよすぎ。

 しばらく写真を撮る事に専念する。ああくそ、こんな写真ではこの存在感の1/100も伝えられない! 撮影技術を手に入れることを真剣に考えてしまう。
 最初はこの電池の上にシールが貼ってあって、「WG61A」とかそんな番号とともに「時計を入れ替えたら+とショートさせろよ!」という注意書きがあった。ショート? イチゴケーキ? 英語の注意書きには「short-circuit」とかそんな単語があったから、ショートケーキのことではなさそうだったが、どちらにせよ僕には理解できない分野に違いない。パチンパチンと金具をツメから外していって、分解・解体・気分はちょっとした変質者である。さぁ解体してあげるからねグフフフフフ。深夜のテンションはどこかおかしい。
 だが、写真を見てもらえば判るように、電池の型番は「CR1620」であって、こいつは一般の電器店では取り扱っていないような特殊な電池だったりするので、深夜4時に近所のファミリーマートに出かけてみてもやはり置いていなかったりする。おっちゃんがおでんを買っていたりするくらいだ。おっちゃん、あんたも暇だな。
 それでどっかの店舗で取り置いていないものか、googleで検索してみたら、やはりというか秋葉原。なんといっても秋葉原。元祖、電気街。元、電気街。世界の電池はわが掌の内に、そんなノリの店がたくさんあるらしい。それで、大会運営参加当日の朝に、関東の電気街に寄ることになったのである。
 秋葉原に寄ったおかげで微妙に遅刻したので、特急を利用した。特急に揺られながら、時計を再度解体、電池を嵌め込んで、僕の相棒はついに3度目の復活を果たしたのである。3度も復活していれば安っぽくもなるけれど、今度の復活は僕の手によるものだ。フランケンシュタイン的な快感が、ちょっぴりだけ。
 午前11時42分、8分遅れで成東到着。
 名前と顔のわかる3年生と、名前と顔のわからない1年生が待っていた。

  • 午後十二時〜午後二十四時

 大会準備に従事する。基本的にはスタート地区の設営。
 基本的にすべて若いものに任せようと思っていたが、実際にはそれなりに口を出してしまった。ところが、本当に口を出すべきところで口を出さなかったこともあった。要するにそういう距離感の計測とか、いたわりとか思いやりとか、そういうのがヘタクソなのだ。直接言わずしておのずからその作業に至らせる、そんな教師にはまだなれそうもない。だが、いつかは僕も部下を持ったりするのだろう。
 まったく、後輩の扱いをまるで学ばなかったよな。